読書の愉しみ

読書の感想をあれこれ書くブログ

「あなたを想う花」

しばらく前に、フランス人の女性が書くエッセイが流行ったことがあって、それならばフランス文学を読んでみてもいいかと思って買った本。

よく言えば、色や自然、心情表現などが丁寧で、読んでいて心地が悪いわけではないけれど、いかんせん中年の恋を扱った小説なので、どーも失敗だったなぁと思った上下巻2冊。

マディソン郡の橋」がディテールとして出てくるけれど、どうもこれにインスパイアされたフランス人が書いたかという印象。読んでみて得るものはなく、失うものは時間という感じ。

ただ、フランス人女性の恋愛観や恋愛事情というのがわかった気もするが、現場見ないとわからないよなぁとも思う。

日本の若い人たちが読むには、どうも恋愛観が濃く、年配が読むとどうも節操がないと思うだろうなとも思う。

フランスでバカ売れしたらしいので、恋愛小説がお好きな方はどうぞ。

口直しにチョムスキーでも読むか。こちらはトランプ批判が楽しみ。

「街とその不確かな壁」(ネタバレなし)

Amazonでベストセラーとなっている、村上春樹氏の新作、今日読み終わった。

村上氏独特の書き方で、時代設定は現代らしく、主人公には名前がない。そして壁に囲まれた街であることが起こる。

高校時代に「ノルウェイの森」に出会ってから、(出会ってしまったために、化学の期末テストで赤点を取りそうになったのだけれど。)ほとんどの作品を読んできた村上氏の作品。この人の作品とともに大人になったが、社会人となった段階で、やや客観的な読み方をしてしまった。

耳障りの良い音楽のように文章を追える、その心地よさが良くて、毎回新作が出ると初版で買って読んでいる。ただ、本棚に残すようなことはしていなくて、読みたいと言っている友人・知人にあげてしまう事が多い。

友人、知人は感想として、「羊男とは何か」「騎士団長という設定はふざけている」ということが多いのだが、その現実感のなさ、大地に立脚しない不安定さが村上ワールドの良さだとは理解できないだろうか?

今回、「街と‥」を読んでみて、現実に立脚しないマインドというのが、たとえば、複数の胃を持つ牛のように、村上氏の中にあるのではないか、と考えるようになった。所謂社会通念みたいなものを持つマインドと、現実に軸足を持たないマインド、そんなマインドを村上氏は持っているように思う。

小説を立ち上げるたびに、独特の世界を自分の中に分身のように作ってしまう、それが村上氏のように思えた。その分身を構造として書き出してみると、小説となった、みたいに。

途中で、ガルケスが出てきて(先日ブログにガルケスを書いたのは全くの偶然。読んでいてガルケスが出てきて偶然の一致にびっくりした。)「マジック・リアリズム」を匂わせているが、ガルケスの場合は南米の風土がそうさせている、という感じで、南米のミステリアスさが描かれているが、村上氏の場合はご本人に帰属するミステリアスさとでもいうべきか。

なお、今回は暴力シーンやら性表現がないので、プレーンに読める。ご本人は文学にはそういうものがつきもの、という意味合いで書いていたらしいが、ない方が村上ワールドらしい。

どの世代も惹かれてしまう、村上ワールド。昭和、平成、令和の読書人ならではの楽しみは彼の新作が読める、という事だと考えているので、もしまだの方がいらしたら、ぜひお読みになってほしい。如何様にも解釈できる世界観を愉しむ楽しみをこの春に味わってほしい。

 

「マシアス・ギリの失脚」

この作品は、学生の頃に読んだ作品だが立派に今も書店で定番として採用されている。書店で見かけたら、ぜひ手に取ってみてほしい。

おそらく、ガルシア・マルケスにインスパイアされて、池澤氏が書いた小説だろうと考える。「百年の孤独」は、南米のジャングルだが、「マシアス・ギリ」は島嶼の話。物語は何層にも分かれていて、実はおとぎ話とも取れる構造をしていて面白い。

風土からくる呪術というのはこんな感じかと思った一作。それもおとぎ話としてしまう池澤氏の腕前にも脱帽。

 

 

「minimalism 30歳からはじめるミニマル・ライフ」

今年1月から断捨離習慣を始めて、本棚の奥から出てきた本があった。それが4年前に買った「minimalism 30歳からはじめるミニマル・ライフ」。もうAmazonでは古本でしか売っていないけれど、2014年に出版されて、当時はミニマリズムの流行り始めだったこともあって、恵比寿の書店で平積みになっていた。

当時は「ドミニック・ローホーさんでいいんじゃない?」と思うことがあって、書店で手に取っていたけれど、買うのを躊躇っていた。

2019年になって、躊躇っていたものを買うことにして読もうと思って本棚に置いておいたら、どんどん奥に入ってしまい、壊れたスライド本棚の陰に入ってしまっていた。

今回の断捨離でこの本を手にしたのをきっかけに、あらためてざっと読んでみた。すると、そうだよなぁと思う部分が結構ある。

私もこの著者のように「パッション」を持って仕事をしていた。いや、今だって仕事にパッションは持っている。どんな仕事でも真摯に打ち込んでいる。

でもその仕事から離れた今は、以前の仕事に比べて抱える重みが違う。また、抱えるものが少なくなったので、自分のプライベートに余裕ができた。そのおかげで、この本の著者が言っていることがよくわかる。この著者のように、それなりのポジションをとってしまうと、自分のトロフィーのようにブランド物を買ったり、海外旅行に行ったり、ということをしないと、自分自身にあいた空虚な穴は埋められない。この著者のように負債は増えなかったけど。

それに有名企業に所属している、というのが親戚達の羨望の的でやたらと結婚式なんかに呼ばれて、その度に出費があり、それに見合うリターンは当然ない。

だから、その仕事を辞めてしまって別の仕事に就いたが、気ままな自由な暮らしだ。仕事内容は皆さんとご同様で守秘義務があるため書かないが、収入が減った分、使う金額が減って、結局お金がたまるという循環に入った。

この著者の自由のために仕事を手放した勇気と、それを世界に伝える試みは評価されるべきだろう。

「サステイナブルに暮らしたい」

あろうことか、表紙は生ゴミである。でもなんか清々しい?表紙。

ゴミについて学んだ著者が、サステイナブルに暮らすことを念頭に暮らしてみた結果を書いている。結果、ちょっぴりのごみだけで暮らせているという話。

60〜70年代っぽく生きてるなと思うけれど、うーん、なんか憧れない生活だなと思う。スタイルがないよなぁと思ってしまう。

田舎に住んでいると当たり前のお裾分け文化が新鮮っていうのも今更?という気がする。

ただ、プラスチックについての疑問みたいなものが具体的に危機感になって、色々調べるきっかけになった。なんとなく捨てられずに持っている本。